智恵子抄
「智恵子抄」とは智恵子の夫である高村光太郎が妻である智恵子が亡くなった後に出した詩集である。智恵子は画家でもあり紙絵作家でもあった。
彼女の実家は福島県・二本松の造り酒屋だ。
裏には記念館があり小さな庭園もあった。
小さくても庭園を見ていると落ち着く。
父親が亡くなった後、家業が傾き苦労をされたようです。
気持ちを切り替えながら創作活動を続け、「青鞜」創刊号(1911年9月)の表紙を
飾りました。「青踏」とは平塚雷鳥らが中心となって作った婦人解放運動機関誌です。
この時期若き女性も活発に活動していたようです。
智恵子は病弱だったこともあり東京のゼームス坂病院で52歳の生涯を閉じます。
ここにも行ってきたのですがレモンが添えてありました。
夫・光太郎が綴った「レモン哀歌」に因んでいるのですね。
智恵子の実家